何故、トラックドライバーに憧れたのか

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みなさん、こんばんわ。現在は7月8日の21時台です。今日は日本にとって大惨事が起こりましたね…安倍元首相が銃撃され搬送先の病院で死亡してしまいました。ちょうど僕も今日は仕事で遅番だったため、同じ病棟の看護師たちとこの事件についてテレビに釘付けでした…安倍元首相、ご冥福をお祈り申し上げます。どうか安らかにお休みください…。
そして今回の記事の内容はというと、何故僕がトラック業界に憧れを感じたのかを本気で綴って見たいと思います。多分めっちゃ長くなる予感しかしない笑。それでは参りますー

幼少期の親父への憧れ

僕の親父は九州は鹿児島の生まれで18歳になると陸上自衛隊へ入隊し九州から本州へと引っ越しをしたのち、退役するまで愛知県の岡崎市に住んでいたそうです。その岡崎市で、おかんと出会ったそうな…結婚を期に親父は自動車学校の教員になりました。もう何十年と自動車学校の教員として働き、現在では引退して庭いじりを楽しむ毎日を送っています。
僕が小学校低学年の頃、親父はよく自分の勤め先の自動車学校へ子守りを兼ねて連れていかれていたものです。生徒さんからも人気の高い教習員でした。そんな親父は自動車学校の教習員ということもあり、公安委員会からの安全運転講習の講師の依頼がきたり、岐阜県から数十枚に及ぶ表彰状を頂いたりと、世間一般に見れば優秀な自動車学校教習員だったのかもしれないです笑。
そんな親父を、僕は本当にかっこよく思っていました。なんてたって全部の免許をもっているんですからね。職務上必須だからと言えばそれまでなんですが、子供時代の僕からしたらシンプルにかっこよかったわけですよ。僕の夏休みになると結構な確率で自動車学校に連れて行かれました。することないだろうからとサッカーボールなんかも持っていったような気がします。
だいたいはボール遊びしたり、近所に神社と公園があったのでそこで遊んだりしてましたが、ある時親父が大型トラックの助手席に乗せてくれたことがあったんですよね。子供の自分には自力でシートまで登り切ることができず、抱えてもらって車内へ乗せてもらったのを今でも鮮明に記憶しています。
大きいハンドルと普通車では体感できない広いフロントガラスに運転手目線の高さといい、本当に別世界で、「お父さんかっこいいね!かっこいいね!」と楽しそうに親父に話しかけてました。別にトラック乗りってわけじゃなかったんですが、親父が初めて大型トラックに乗せてくれた…って思い出があるからなんですよね笑。この体験を過ぎると長い間トラックに乗るなんてことはなくなりました。

運送業のアルバイトで助手を経験

割とここ数年の話です。逆を言えば30歳後半になるまで、運送業界へ転身する時間なんていっくらでもあったはずなんですが、きっかけが単純になかったのか運送業界で働くなんて全く考えもしなかったんです。これは去年(2021年)だったか、一昨年(2020年)のことです。職場に内緒で登録制の派遣社員のアルバイトをはじめました。Webサイトで見る感じだと工場でのスポット作業など、コツコツ、もくもくできる仕事があって週払いでもあればなぁ…なんて軽いつもりで登録。
そしてお仕事予約をいれた当日に派遣元から指定された待ち合わせ場所は駅でした。どこに現場があるかわからないしと思い、さらなる指示を仰ぐわけですが、もうすぐ着くと思うから待っていてください。ドライバーさんが来るので挨拶だけしっかりお願いしますよー。と…
ん?ドライバー?もうすぐ来る?どういうことだ?とちょっと僕は混乱気味でいると、ちょっとコワモテなおっちゃんが「待った?今日は頼むね!」と話しかけてきたのだ。辺りを見渡すとトラックが停まっていて、サイズは2tロング位だったかな。なんか…こう…とにかく格好よかったんですよねー。
仕事内容はイオンのアパレルの専門店街へマネキンの搬送という仕事でした。僕はトラックの助手席にのり運転手さんと色んな話をしながら現地へ到着。30分程待機したと思います。時間が来るとマネキンや付属の台座のようなものやラックなど結構な量を運転手さんとともに搬入作業。そしてマネキンの組み立て・設置までして現場は終了。という感じでトラックへ乗っている時間より搬入・設置が多くて慌ただしい半日だったんですが、とても充実した時間を送れたような気がしていました。
この時にマネキンに加工するために必要な原材料をマネキン製造工場へ運んで来るトラックドライバーさんがいて、その工場で生産されたマネキンを工場まで積み込みにいくトラックドライバー。そして僕らがお店に運んできて設置したマネキンに服を着せる人、売り場をレイアウトするショップスタッフ。そして商品を手に取り買い物していくお客さんがいて…と。
この物流・経済の流れの中に運送業界(トラックドライバー)が介在することが当たり前な世の中なんだけど、絶対なくてはならないものなんだ。という印象を強く持ちました。

人の役に立てる仕事としての共通点

僕は現役の准看護師です。国家資格の看護師とは管轄が異なり看護師は厚生労働省なのに対して、准看護師は都道府県知事になります。でもどちらの資格でも大きく仕事内容は変わりません。僕は精神科領域が好きというか性格にあっているのかなって思ってたりする部分があって、10年近くこの領域にいますが、人を看ることや患者さんに寄り添うことは、看護分野全体に言えることで精神科に限ったことではありません。
人の支えになるって考え方ってトラック業界にも同じことが当てはまるんじゃないだろうか?と考えるようになりました。さらに言えば病院で扱う物資の90%以上がトラックドライバーさんたちが運んできてくれたものばかりです。トラックドライバーさんがいなければ物資も行き届かないし、震災時の有事のときなら、尚更のことやと思います。これって凄い大切なことだと思いません笑?
世の中の人はこの物流の流れについて一定の理解を示す人は少ないと思います。みんな当たり前のこととして認知しすぎちゃっているから笑。僕なんかからしたら豚肉やら牛肉やら大好きなんだけど、豚一匹、牛一頭とかプレゼントされても調理というか捌けないです笑。なにが言いたいかというと食肉加工業者さんがいてくれるからこそ…なんですよね。ほんとにありがとうございます!

物流を通して人々の暮らしに豊かさを届けたい

この世の中、当たり前なんて本当に無いと思うんですよね。人が当たり前って思える裏では、そこに携わる実に多くの人々によって当たり前が創り出されている…といっても過言ではありませぬ笑。
僕はこれまで病める患者さんの心に寄り添って入院生活をサポートすることで、社会に大きく貢献してきているという自負があります。極めて看護・福祉・教育は社会的意義の大きな仕事だと思っています。決して底辺職だなんて思っていませんよ。収入の低さ=底辺職ではないから勘違いせんどいてほしいです笑
そして物流業界・運送業界・トラック業界…どのように呼ぶのが妥当な呼び方なのか悩ましいところですが、国内に住まうすべての人々対して安心・安全・喜びを届けられるような仕事がしてみたいとも感じるようになりました。

綺麗事だけではない本音の部分

ここからはかなーり私的な事情を多く含みますがリスト形式で述べたいと思います笑。まずは
憧れている理由

  1. あんまり家に帰りたいと思わないタイプだから
  2. 運転が好きだから
  3. 車中泊がすきだから
  4. 整理整頓が好きだから
  5. 色んな景色をみられそうだから
  6. ドライバー仲間ができそうだから
  7. 給料が准看護師より遥かにいいから
  8. 住宅ローン・家計のために…
  9. 大型トラックの見た目がかっこよすぎるから
  10. トラック運転手はかっこいいから笑

憧れだけでなにもかもやっていけるとは思ってはいませんよー。僕が下調べをした中で把握している
苦労する点

  1. ボーナスがほとんどない
  2. 基本給激安
  3. 退職金がない
  4. 夏のエンジンカットの劣悪な労働環境
  5. 交通違反・交通事故のリスクと常に隣り合わせ
  6. バラ積み・バラ降ろしでの身体的負担


と、まぁこんなようなことを頭の中では考えていますがとにかく憧れているんですよ。僕は40歳を超えてこの業界に転身を決めました。うまれてはじめて自分で心底やりてー!と思えた仕事に巡り会えた気がしてなりません笑。

おわりに

人のためになりたいという思いで始めた看護という仕事…幼少期に親父に乗せてもらったはじめての大型トラック。運送業のアルバイトで感じた運送業のやりがいと社会的意義の大きさに感動したあの日。どれかが欠けてしまえば、僕はトラックドライバーへ転身する決意をすることはなかったでしょう。もはや運命としか説明ができません笑。
もし、なにかのきっかけでこのブログに辿り着いた中年のみなさんの転職への後押しになれば嬉しく思います。

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